クリニック通信

020. Death ~『死』とは何か~

2019/11/3

いきなり驚きますが、これは本の題名です。この本、読書家で学者肌の私の父親が87歳で最期に選んだ書物の題名です。著者はシェリー・ケーガン(イェール大学哲学教授)。知る人ぞ知る名物教授の講義を一冊にまとめたもので、本自体も重いのですが、内容もまた重く、テーマである『死』について真面目に語ります。

人はいつどのような状態が死んだといえるのか?身体的な機能を失った時、すなわち心臓が止まった時という。ほんとうにそうなのか。人格を失った時すでに死んでいるのではないのか。さらに、魂の存在、これを否定できる証明はできないので存在する⁈…と。

父は四年前に腸閉塞で発覚した大腸癌。すでに多発転移した末期癌でした。しかし4回の手術と、化学療法そして放射線療法を行った末に、今年(2019)の9月から緩和病棟に2ヶ月入院して先日亡くなりました。(その節は皆様にご迷惑をお掛け致しました。)

何事にも前向きでチャレンジ精神旺盛。スマホやパソコンも得意でした。仕事(医師)も数年前の80代半ばまで現役でした。大好きなヨットにも昨年まで乗っていました。その父が、死を現実的な出来事と考えざるおえない最期の2ヶ月の病床で読んでいたのです。読み進める中で、何を思い、何を目指していたのか。

父の葬儀を終えて、書斎の整理をしました。メモ魔だったので、わかってはいましたが、膨大な量のメモや原稿の山。わけのわからない乱雑なものもあれば、興味深いエピソード原稿も。その中には自費出版と書かれたファイルがあり、自伝的小説もありました。学童疎開、戦時中の悲惨な食事、妻との出会いと死別(昨年死去)そして一人残された後の思いなど。

なるほど、そういうことか…。そんな原稿を読んだり形見の時計を見たりしていると、不思議に死んだのに死んでない、そう、少なくとも私の中で父の魂を感じる感覚は確かにあるのです。魂は消えることのないもの、そう思えた瞬間でした。

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