クリニック通信

084. 心地いいのは

2023/9/28

ここ何年か、登り続けている山があります。
あまり運動が得意ではないわたしが、なぜかまたその山に登ってしまうのは、心地いいから。これに尽きます。

埼玉県は秩父市、三峯神社といえば関東屈指のパワースポットとして有名です。最寄の西武秩父駅から更にバスで1時間半、鹿が普通に歩いているような山奥にどっしりと鎮座しているその神社は、決してアクセスがいいとは言えません。それにも関わらず参拝者が後を経たないのは、やぱりその不思議なパワーゆえでしょうか。
いや、偉そうに書いてはみたものの、実際わたしが感じるのは「心地いいなぁ」くらいなのですが。

その本殿から遠く離れた標高1329mの山が、わたしが登り続けているという妙法ヶ岳です。実はこの妙法ヶ岳は三峯神社の奥宮なのですが、標高は高くないものの、しっかり山道だし、登り始めると毎度「わたしったらどうして、またうっかり登り始めてしまったのか」と立ち止まって考えるくらいには険しいのです。足元は木の根や岩でボコボコしているし、人ひとりがやっと通れるような道ばかり。頂上へは鎖を頼って登り切るので、軽装で来た人が途中のベンチで項垂れていたりして。
そういう人に「こんにちは」と挨拶すると「こんにちは、いやあ、こんなに大変なところだったなんて」と苦笑いで返ってくることがほとんど。かと思えば裸足でひょいひょいと歩く人からの、威勢のいい「こんにちは!」に、今度はわたしが元気を貰ったりします。

山というのは不思議なもので、すれ違えば挨拶をするし、この先少し崩れていたから気をつけてね、と声をかけていただいたり、狭い道があれば誰からともなく譲り合ったり。特にこの妙法ヶ岳は、やさしくてあたたかなやり取りが多いです。いつも感じるのは、山には山の『お互いがやさしく在るためのルール』があるのだなぁ、ということ。これはきっと普段の生活でも大事なことですが、つい忘れてしまいがちです。
山が心地いいのは、いつまでも見ていられるような景色や、汗だくで辿り着いた頂上での達成感、崖を駆け上がってくる空気の清涼感はもちろんですが、忘れがちな大事なことをふと、思い出させてくれるからなのでしょう。

キュッと尖ったその見た目とは裏腹に、登ってみると、やさしくて、まあるくて、あたたかかったりするのです。

[K]

▲